小田凱人(おだ・ときと)選手は、逆境を乗り越え世界の頂点に立った車いすテニス選手として、多くの人に勇気を与えています。
結論から言うと、小田凱人選手は完全に歩けないわけではなく、短い距離であれば杖を使って歩行が可能です。
「どんな病気だったの?」「どうやって世界一になったの?」と気になる方も多いでしょう。
この記事では、小田凱人選手が幼少期に経験した病気と手術、現在の歩行能力、そして車いすテニスとの出会いから世界一になるまでの軌跡を詳しくまとめました。
小田凱人の病気は骨肉腫|発症から手術までの経緯
小田凱人選手は9歳のとき、左股関節に強い痛みを感じ、検査の結果「骨肉腫」と診断されました。
病気の進行を止めるために、左足の股関節と太ももの骨の一部を切除する大手術(約12時間)を受けています。
その後、17回にわたる抗がん剤治療と約9か月の入院生活を経て、人工関節を入れる手術も実施。
壮絶な治療を乗り越えながらも、小田選手は「もう一度スポーツがしたい」という強い気持ちを失いませんでした。
小田凱人は歩ける?気になる現在の歩行能力
小田凱人選手は、手術後も短距離であれば杖を使って歩行が可能です。
立ち上がることもでき、リハビリやトレーニングの中で筋力を保つ努力を続けています。
報道や映像では、階段を自力で上る姿や杖をついて移動する様子も紹介されており、完全な歩行不能ではありません。
ただし、長距離の歩行は足への負担が大きいため、日常生活では車いすを併用しているとのことです。
小田選手自身も「できるだけ立って生活するようにしている」と語っており、体の状態に合わせながら前向きに生活しています。
つまり、「自由に歩ける」とは言えませんが、「まったく歩けない」わけでもありません。
制限のある身体でも、自分にできる最大限を追求し続けている——それが現在の小田凱人選手の姿です。
病気を乗り越え世界一へ|車いすテニスとの出会い
つらい治療の日々の中で、小田凱人選手は「車いすテニス」と出会いました。
入院中、医師からパラスポーツを紹介され、動画で見た車いすテニスの試合に心を奪われたといいます。
「これがやりたい」と直感し、退院後すぐに地元クラブで練習を始めました。
10歳で本格的に競技をスタートし、驚異的なスピードで成長。
憧れだった国枝慎吾選手を追いかけ、わずか10代で世界ランキング1位、そしてパラリンピック金メダルを獲得しました。
歩くことが難しくなっても「スポーツを続けたい」という思いを力に変え、世界を舞台に戦う選手へと成長したのです。
小田凱人選手のプロフィールについてはこちらにまとめてありますので、ぜひこちらもご覧ください。
まとめ
小田凱人選手は、9歳で骨肉腫を発症し、大手術や長い治療を乗り越えて今の道を切り開きました。
歩行には制限があるものの、自分の体と向き合いながら前向きに生活し、車いすテニスという新たな舞台で才能を開花させています。
「歩ける・歩けない」という枠を超え、不可能を可能に変えてきたその姿勢こそが本当の強さ。
これからも彼の挑戦は、多くの人に希望と勇気を与え続けることでしょう。
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